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初出 · Re-birth

わかっている苦痛」にとどまる理由――「つらいなら辞めればいい」では届かないこと

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以前、ある学生から、働いている場所でパワハラやセクハラを受けているという話を聞きました。

最初に、はっきり書いておきたいことがあります。

パワハラやセクハラは、本人が我慢できるかどうかにかかわらず、許されるものではありません。

「冗談だった」
「悪気はなかった」
「嫌なら言ってくれればよかった」

そうした言葉で、行為を受けた側に責任を移してはいけないと思います。
その行為を止める責任は、被害を受けた本人ではなく、行為をした人と、それを放置しない職場にあります。

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「まず、傷つける行為そのものが論外である」

本来であれば、本人が仕事を失ったり、新しい場所を探したりしなくても、安全に働ける環境がつくられなければなりません。

被害を受けた人が職場を去ることで、問題が解決したように見せてはいけない。私は、そう思っています。

それでも、その学生から話を聞いた時、私は、
「そんなところは辞めた方がいい」と伝えました。
外から見れば、それが一番分かりやすい答えに見えたからです。

けれど、その学生は辞めませんでした。

次のアルバイト先を探すのもしんどい。
求人を探し、履歴書を書き、志望動機を考え、面接に行かなければならない。
そして、また自分を見られ、評価される。
新しい場所でも、同じようなことが起きるかもしれない。
そこまで考えると、今の場所で我慢する方が、まだましなのではないか。
そんなふうに考えていると話してくれました。

その言葉を聞いた時、私は初めて、「辞める」という言葉の先に何があるのかを、十分に考えていなかったことに気づきました。

辞めることは、嫌な場所から離れることだけではありません。
今ある収入を手放すこと。
慣れた仕事や人間関係を手放すこと。
もう一度、求人を探すこと。
もう一度、自分の経歴や長所を説明すること。
もう一度、誰かに見られ、比べられ、選ばれる側に立つことです。
そして、選ばれない可能性もあります。

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「『辞める』の先には、たくさんの負担が待っている」

就職活動中の学生からも、似た話を聞いたことがあります。

何社も応募し、そのたびに自分を説明する。
企業ごとに志望動機を書き、面接では明るく、前向きに、自信があるように振る舞う。
けれど、不採用が続くと、
「今回は条件が合わなかった」ではなく、
「自分には価値がないのではないか」
と感じてしまうことがあります。

本当は、その人のすべてが否定されたわけではありません。
それでも、何度も評価される側に立っていると、仕事上の適性と自分自身の価値を、簡単には切り離せなくなることがあります。

まして、今いる職場ですでに傷つけられている時です。
自信を失い、自分の感じ方が正しいのかさえ分からなくなっている時に、もう一度、知らない誰かの前に自分を差し出し、
「私を選んでください」
と言うことは、想像以上に大きな負担です。

では、なぜ人は、「わかっている苦痛」にとどまるのでしょうか。
私は、苦痛を望んでいるからではないと思います。
今の場所で受ける苦痛には、つらいながらも形があります。

誰が何を言うのか。
どんな時に嫌なことが起こるのか。
どのように受け流せば、その日を終えられるのか。

傷つきながらも、その場所で何とかやり過ごす方法を覚えてしまっています。

一方、辞めた先にあるものは、まだ分かりません。

次の仕事が見つかるのか。
面接で落とされないか。
新しい職場には、どんな人がいるのか。
また同じような目に遭わないか。
今よりさらに悪い環境ではないか。

今の場所には、すでに分かっている苦痛がある。
その先には、まだ形の見えない恐怖がある。

だから本人の中では、
「ここにいたい」と「ここを離れたい」
を比べているのではなく、
「今ある苦痛」と「今より悪くなるかもしれない未来」
を比べているのかもしれません。

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「比べているのは『苦痛』と『自由』ではなく、『今ある苦痛』と『見えない恐怖』かもしれない」

そう考えると、

「嫌なら辞めればいい」
「ほかにも仕事はある」
「もっと強く言い返せばいい」

という言葉だけでは、届かないことが分かります。
正しい答えを知らないから、動けないのではありません。
本人も、このままではよくないと分かっている。
それでも、その答えを実行するための力が、もう残っていないことがあります。
そして、動けない自分を責めています。

その人に必要なのは、さらに正しい言葉を重ねられることではないのだと思います。

まず、
「あなたが悪いわけではない」と確認すること。
起きていることを、一人で抱えなくてもいいと伝えること。
すぐに辞めるか続けるかを決めさせるのではなく、本人の安全と選択肢を少しずつ増やすこと。
勤務日数を減らすことはできないか。
少し休むことはできないか。
信頼できる人や相談窓口につなげられないか。
起きたことの記録を残せないか。
次の求人を一緒に見ることはできないか。
応募書類や面接の準備を、一人でしなくてもよい形にできないか。

本人に代わって人生を決めるのではなく、
本人が自分で決めるための足場を一緒につくる。


それが必要なのだと思います。

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「必要なのは、正しい答えを押しつけることではなく、選べる足場を増やすこと」

もちろん、今の場所にとどまり続けることが安全だと言いたいわけではありません。

心身に危険がある場合には、専門機関や相談窓口につなぎ、まず安全を確保する必要があります。

ただ、外から正しい答えを伝えるだけでは、人は必ずしも動けません。

人が一歩を踏み出すためには、その一歩の先に、誰かがいることが必要な場合があります。
辞めた後も一人ではない。
次を探す時も一人ではない。
面接で選ばれなかったとしても、あなた自身の価値がなくなるわけではない。
次の場所が合わなかったとしても、また一緒に考えられる。
そう思えることによって、初めて「離れる」という選択が、現実のものになることがあります。

自立とは、誰にも頼らず、一人で正しい決断をすることではないと思います。
困った時に「助けて」と言えること。
そして、その言葉を受け止める人や場所があること。

その関係の中で、人は少しずつ、自分の人生を自分で選べるようになるのではないでしょうか。

tugumiは、誰かにすぐ前を向かせる場所ではありません。
辞めることを押しつける場所でも、我慢することを求める場所でもありません。
普通に来て、ご飯を食べて、何も話さずに帰ってもいい。
けれど、本当に困った時には、
「ここなら、うまく説明できなくても大丈夫かもしれない」
と思ってもらえる場所でありたい。

「そんなにつらいなら辞めればいい」
そう言う前に、その人が辞めた後に背負うものまで、一緒に考えたい。

一人で辞めなくてもいい。
一人で次を探さなくてもいい。
迷いながらでも、怖がりながらでもいい。

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「すぐに答えを出さなくてもいい場所」

その人がもう一度、自分で自分の道を選べるようになるまで、そばで一緒に考えられる場所でありたいと思っています。


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