JOURNAL
初出 · Re-birth
応募ボタンを押す前に、学生はなぜ無言で立ち去るのか。

~AI就活・AI採用の時代に、採用に”人間の手触り”を戻す~
最近、中小企業の経営者や採用担当者の方々と話していると、ある共通した違和感を耳にすることがあります。
「応募してくる学生の書類や、面接での受け答えが、どこか平らに感じる」 「きれいにまとまっているし、減点する理由もない。でも、その子自身の迷いや実感が見えてこない」
もちろん、学生たちが不誠実だと言いたいわけではありません。
むしろ、逆だと思います。
学生たちは、とても真面目に、今の就活のルールに適応しようとしている。 エントリーシートの書き方。
自己PRの型。
面接で評価されやすい受け答え。
スマートフォンを開けば、
「落ちにくい言葉」「伝わりやすい構成」「面接官に響くガクチカ」
のような情報が、いくらでも出てきます。
そこに、生成AIも加わりました。 AIを使えば、文章はきれいに整います。
言葉の抜け漏れも減ります。
論理も整理されます。
それ自体は、決して悪いことではありません。
私自身も、AIを使います。
考えを整理するために。
言葉を磨くために。
まだ言葉になっていない違和感を、少しずつ形にするために。
だから、これは「AIを使うな」という話ではありません。
でも、少しだけ立ち止まって考えたいのです。
言葉が整えば整うほど、そこからこぼれ落ちていくものはないのか。
迷い。
引っかかり。
うまく言えなさ。
まだ言葉になりきっていない実感。
一見すると矛盾しているように見える、その人の揺れ。
本来、人が働くことや生きることを考えるとき、そこにはきれいに整理できないものがたくさんあります。
けれど就活の場では、学生たちはそれをそのまま出すことを怖がります。
下手に自分の生の言葉を出すと、評価されないかもしれない。
うまく話せない自分を見せると、落とされるかもしれない。
まだ迷っている自分を出すと、「主体性がない」と見られるかもしれない。
だから学生は、自分を守るために、正解っぽい言葉を選びます。

それは、ズルではありません。 防衛です。
そして、この防衛をしているのは、学生だけではありません。
企業もまた、学生から選ばれるために「よく見える会社像」を整えようとします。
採用ページには、前向きな言葉が並びます。
説明会では、働きやすさや成長環境が語られます。
求人票には、どこかで見たことのある言葉が並びます。
「若手が活躍」 「風通しのよい職場」 「未経験歓迎」 「アットホームな雰囲気」 「成長できる環境」 どれも、嘘ではないのかもしれません。
でも、学生から見ると、どの会社も似たように見えてしまうことがあります。
企業もまた、選ばれたい。 よく見られたい。
自社の弱さや未整理な部分を、そのまま見せるのは怖い。
だから、会社も整えます。
さらに、採用担当者もまた、防衛の中にいます。
「なぜこの学生を採用したのか」
「なぜこの学生を落としたのか」
「なぜ内定辞退が出たのか」
「なぜ採用がうまくいかないのか」
その説明を、社内に求められる立場にいます。
だから、評価基準やスコアや適性検査に頼りたくなる。
判断の根拠がほしくなる。
自分の目で人を見ることの怖さを、少しでも軽くしたくなる。
「…..AIが良いと判断したから」
こうして採用の現場では、学生・企業・採用担当者の三者が、それぞれに自分を守ろうとします。
学生は、「評価される自分」を演じる。
企業は、「選ばれる会社」を演じる。
採用担当者は、「間違えない判断」を求められる。
誰も嘘をついているわけではありません。
でも、誰も本当のことを十分には言えていない。
その結果、採用は少しずつ、出会いの場ではなく、評価と防衛の場になっていくのではないでしょうか。
考えてみれば、エントリーシートもまた、もともとは効率化のための仕組みでした。
全員に会うことはできない。
だから、まずは書類で見る。
限られた情報の中で、次に会う人を決める。
それ自体を、すべて否定したいわけではありません。
採用の現場には、時間も人手も限りがあります。 効率化が必要な場面は、確かにあります。 ただ、採用はこれまでもずっと、人を効率よく見るために、さまざまな情報へと圧縮してきました。
大学名。
学部名。
資格。
誤字脱字。
文章の整い方。
ガクチカのわかりやすさ。
志望動機のそれっぽさ。
面接での受け答えの滑らかさ。
もちろん、それらを確認すること自体がすべて悪いわけではありません。
限られた時間の中で採用活動を行う以上、何らかの基準や手がかりは必要です。 けれど、それらは本来、その人の一部でしかありません。
うまく書けることと、現場で人と関われることは同じではありません。
誤字脱字がないことと、仕事を丁寧に続けられることも同じではありません。
大学名や経験の見えやすさだけで、その人がこれからどう育つかまで決められるわけでもありません。
それでも採用の現場では、いつの間にか、その一部の情報が、その人全体を表すもののように扱われてきました。
AIは、その流れを突然生み出したのではないと思います。 もともと採用の中にあった「人を効率よく比較する仕組み」を、さらに速く、さらに滑らかに、そしてさらに責任の所在が見えにくい形へ進めているのだと思います。
書類上そう見えたから。
評価基準に合わなかったから。
AIの判定では低かったから。
総合的に判断したから。
そうした言葉の後ろに、判断した人の顔が見えなくなっていくとき、落とされた側には問いの向け先がなくなります。
「私は、誰に見られたのだろう」
「何が届かなかったのだろう」
「そもそも、私は人として見られていたのだろうか」
採用の効率が高まること自体よりも、私はそこに怖さを感じます。
人を選ぶこと。
人を落とすこと。
人に会わないと決めること。
その重さを、仕組みやスコアやAIの後ろに隠してしまうと、採用はますます人から遠ざかっていきます。 AIが悪いのではありません。 AIは、文章を整えることができます。 情報を整理することができます。 事務作業を減らすこともできます。 使えるところは、使えばいいと思います。

ただ、AIやテンプレートで言葉が整うほど、人間の凸凹や体温は見えにくくなります。 それは、学生だけの問題ではありません。 企業も、採用担当者も、同じです。 整えすぎた学生の言葉。 整えすぎた会社の見せ方。 整えすぎた評価基準。
その中で、私たちはいつの間にか、人を「比較しやすい情報」として扱うことに慣れてしまっているのかもしれません。 でも、人は本来、そんなにきれいに整理できる存在ではありません。
うまく話せないけれど、よく考えている人がいます。
派手な経験はないけれど、目の前のことを丁寧に続けられる人がいます。
言葉は整っていないけれど、人との関係の中で少しずつ力を出していく人がいます。
企業も同じです。
採用ページに書けるような魅力だけで、会社はできていません。
整っていない部分もある。
まだ言葉にできていない良さもある。
働く中でしか見えてこない空気や関係性もある。
採用担当者も同じです。
すべてを見極められるわけではありません。
一度の面接で、その人の全部がわかるわけでもありません。
それでも、人と会社が出会う場をつくろうとしている。
だからこそ、採用に必要なのは「見抜く力」だけではないと思うのです。
むしろ必要なのは、見抜きすぎないこと。
まだわからないまま、もう少し話してみること。
言葉にならない違和感や引っかかりを、すぐに評価へ変換しないこと。
関係の中で、「この人なら」「この会社なら」を一緒に考えること。
採用とは本来、正解を出し合う場ではなく、不完全な人間同士が出会う場だったはずです。
この学生は、条件だけで見れば少し合わないかもしれない。
でも、ここまでいいところも悪いところも見て、関わってきた中で、この子一人なら受け入れ方を考えられるかもしれない。
この子と社員Bさんとは相乗効果を生み出すかもしれない。
この子の可能性は?
個々の能力より、この子がいることで会社全体の総合力(共育力)が向上するかもしれない。
この会社は、完璧ではないかもしれない。 でも、この人たちとなら、少しずつ自分の居場所をつくっていけるかもしれない。
そうした、合理性だけでは測れない「情」や「関係の余白」が、実は社会を支えてきたのではないかと思います。
AIやテンプレートが広がる時代だからこそ、私たちはもう一度、人間の手触りを採用に戻す必要があるのではないでしょうか。 ここで言う手触りとは、感覚的な優しさだけではありません。
言葉の詰まり方。
迷い方。
わからないときの態度。
誰かの話を聞く姿勢。
自分をよく見せようとする奥にある怖さ。
会社をよく見せようとする奥にある不安。
判断を間違えたくない採用担当者の孤独。
そういうものを、雑に処理しないことです。
そして、この話は最終的に、
自己肯定感の問題にもつながっていると思います。
ここで言う自己肯定感は、「自信を持とう」「自分を好きになろう」という話ではありません。 評価されたから大丈夫。 内定をもらえたから大丈夫。 AIに通ったから大丈夫。 会社に選ばれたから大丈夫。 そういう条件付きの安心ではなく、 評価ではなく、あるがままの自分を受け入れ、自分が自分であって大丈夫。 そう感じられる足場のことです。
学生にとっても。
企業にとっても。
採用担当者にとっても。
採用が評価の場だけになってしまうと、人は評価される自分だけを差し出すようになります。 でも、評価される自分だけが、その人ではありません。
選ばれるために整えた会社像だけが、その会社ではありません。
間違えない判断をしようとする採用担当者だけが、その人の仕事ではありません。
AIが整える時代に、採用へ人間の手触りを戻す。
それは、AIを否定することではありません。
効率化を否定することでもありません。
効率化できるところは、効率化すればいい。 整えられるところは、整えればいい。
でも最後に、もう一度、人を人として見に行く。
書類の向こうにいる学生。
採用ページの向こうにある会社。
評価基準の向こうにいる採用担当者。
その一人ひとりを、もう一度、関係の中で見ていく。
採用は、人を見抜く場ではなく、関係の中で「この人なら」を探す場へ。
そんな採用のあり方を、これから少しずつ考えていきたいと思っています。 とはいえ、「人間の手触りを大切にする採用」と言われても、いきなり採用の仕組みを大きく変える必要はありません。
まずは、自社の採用情報が学生にどう見えているのかを知ることからでいいと思います。
「若手活躍」 「未経験歓迎」 「風通しのよい職場」
どれも悪い言葉ではありません。
でも、学生が初めて見たときに、そこから働く人の顔や、職場の空気や、「ここで働く自分」が少しでも想像できるか。
そこは、企業側だけではなかなか見えにくい部分です。
応募しなかった学生は、理由を言ってくれません。
ただ、ページを閉じます。
その沈黙の中に、企業側がまだ聞けていない声があるのだと思います。
Re-birthでは、採用ページ・ナビサイト・求人票などを、学生が初めて見たときにどう受け取るのかを可視化する「学生初見レビュー」を行っています。
学生の

声をそのまま企業にぶつけるのではありません。
どこで伝わっていないのか。
どこで不安が生まれているのか。
どの言葉が、学生にとって具体的に見えていないのか。
それを、採用改善に使える形に翻訳していきます。
AIで学生の言葉が整う時代。 企業の採用情報も、ただ整っているだけでは届きにくくなっています。 きれいに整った言葉の奥にある、迷いや体温や関係性を、どうすれば採用の中に残せるのか。
まずは、自社の採用情報が学生にどう見えているのか。 そこから一緒に見直してみませんか。